コラム

「デジタルデバイド」と格差社会

この欄でデジタルデバイドをとりあげたのは2003年8月でした。
当時は主に「キーボードリテラシー」の有無が新たな社会的格差を生むという文脈でデジタルデバイドが語られていました。
その後、格差問題は「下流社会」に引っ張られて、小泉改革、ニート問題とデジタルとは関係ない方向での議論が盛り上がっています。
格差があるのは問題とか、格差が広がるのはけしからんとか言う幼稚な議論はおいておくとして、最近の消費者とデジタルデータ、機器との関わり方をマーケティングインタビューに参加した人達の傾向からまとめてみると次のようなことが言えます。

  1.  消費者の「デジタル」とはWebのことである。
  2.  Web接続の端末として携帯電話が主流という人が増加している。
  3.  Webで行う(使う)ことは買い物と検索と交流の3つである。(2ndライフはまだ。)
  4.  格差を感じたからではなくデジタルから離れる人もいる

消費者が実感しているデジタルな世界はWebの中にあります。
家に居ながらにしてショッピングができる、わからないことが調べられる、友人・知人と連絡がとれる、というWebの世界の利便性に感動しています。
数年前まで考えられていたPC(キーボード)リテラシーは格差の原因ではありません。
PCのスイッチを入れた後は、指示通りにマウスでクリックしていけば好きな世界に行けることを70歳近い老人も知っています。
キーボードは、自分の住所・名前かIDコード、個数、金額の入力の時だけ使えれば、買い物ができてしまうのです。
一般消費者は、マイクロソフトをパスしてしまいました。
さらにWebへのアクセスをケイタイだけに頼っている人が増加しています。

  1. PCは持ち歩けない。
  2. 立ち上げに時間がかかる。
  3. 家族と共有だから使えない時がある。家族の目が気になる。

という理由はすぐに理解できますが、

  1. フトンの中でWebにつなぐ、風呂のなかでも。

という発言には驚かされます。
この傾向から考えて、PCのモバイル化より、ケイタイの大画面化の方が商品開発の方向性として、たぶん正しいでしょう。

このデジタルの世界に背を向けている人も確かに存在していて、それによって「格差」を感じてもいません。
街には、手に取って確かめられる商品が溢れているし、価格もWebに比べて高いわけではありませんし、図書館は充実しているし、友達も電話をしなくなったわけではないので何の不便も格差もないのです。
ただ、周囲がメールだ、mixiだ、楽天だ、ヤフオクだ、Wikipediaだとうるさいのでおとなしくいるだけといえます。

地球は永遠に球形ですし、表面にはデコボコ(格差)があります。
フラット化したら滅亡です。

2007,4

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