コラム

ネットリサーチの代表性

「マーケティングリサーチの設計にあたって、代表性の確保が最も重要である。」との教えは過去のものになりました。
現在、この教えを信奉しているのはパネル調査(視聴率調査やSCI調査)と官庁統計、選挙関連の調査くらいではないでしょうか。
マーケティングリサーチの現場で「代表性」が問題にされなくなった原因として、

①インターネット(ネット調査)の普及
②住民基本台帳の閲覧拒否
③個人情報保護法

の3つが考えられことは何度か書いてきました。
3つに共通することは信頼できる「母集団名簿」がない、あるいは作れないということです。
ネット調査のモニター名簿は、個人が特定できていないので母集団名簿になり得ません。
精度の高い母集団名簿である基本台帳は、それを使った犯罪があったり、プライバシー問題で公共性の高い(官庁関係)調査にしか閲覧を許さなくなりました。
さらに、不愉快なDMとその元となる各種名簿の流出などで個人情報保護法が施行され母集団名簿を作ること自体が「犯罪」に近いことになってしまいました。

とここまで考えてきて、「では、これら3条件が出てくる前は、マーケティングリサーチの設計で代表性を重視してきたか?」という疑問がわきました。 その答えは簡単で、

④代表性は、そもそも問題にしていなかった

ということになりそうです。
クライアントは、調査設計(代表性)よりも結果に興味がある(金を払う)のは昔から当然のことでした。
ですから、クライアントが代表性についてリサーチ会社にクレームをつける時は「自分の思い通りの結果が出なかった。」場合に限られていました。
リサーチで、自社の評価が良ければ「それで問題なし」だったのです。
そんな時までわざわざ代表性をチェックするのは時間と労力の無駄なわけで、リサーチの代表性よりもスピードと廉価さを追求した方が経済合理的にかなうのは自明のことです。
このスピードと廉価さを革命的に進化させたネット調査が代表性を「過去形」にしてしまいました。

ネット調査はスピードと廉価さを武器に大量サンプルを繰り返しリサーチすることを可能にしました。
1回のリサーチ結果が「おかしい」と思ったら、設計を見直して代表性をチェックしているより、他のネットリサーチ会社でやり直した方が時間と労力と費用の合理化になることに気づいたのです。
厳密には適応できないと思いますが、ネット調査の代表性を「大数の法則」や「中心極限定理」によって保証しても問題ないという経験値も出てきています。
(酒井隆・恵都子「インターネットリサーチがわかる本」2007 p126)
ネット調査は、代表性についての問題点を指摘するより、スピードと廉価さよって生み出される大量のリサーチ結果をデータベースとして分析できる(テキストマイニング)という新たな可能性を評価すべきでしょう。
このような状況で、リサーチの代表性はますます忘れ去られることになります。

2007,11

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