コラム

生活思想とマーケティング

<生活思想とは>
ていねいな生活、地産・地消、などその時代の生活・ライフスタイルを表すキャッチフレーズが生まれては消えていく。
この時代、時代に生まれる生活・ライフスタイル提案を「生活思想」として、それが生まれる背景とマーケティングとの関係を分析したい。
とりあえず、ChatGPTに生活思想の定義と歴史をきいてみたが、生活思想にはしっかりした定義はないようであることがわかった。
それでも1960年代の反消費主義・カウンターカルチャーから2000年代以降の持続可能性・SDGsの流れを説明してくれた。
ChatGPTが言うように生活思想の根底に「反消費・脱成長」の態度がある。
1960年代、経済の高度成長への反動として、反消費主義、ヒッピーイズム、自然天然指向の生活思想が生まれた。
当時、「清貧の思想」と言われたが、一般生活者にどれだけ支持されたかはわからない。
同じ頃、化石燃料による地球温暖化の懸念がガイア概念を産み、変遷を経ながら2000年代には脱炭素運動に発展していき、企業サイドも何らかの脱炭素行動を暗に求められている。
さらに国連からSDGsが提案され、貧困の撲滅、多様性の維持発展がテーマなのに一般には地球環境問題と強く結びついた生活思想になっている。
ここ数年はLGBTが話題(流行)になっているが、これは生活思想にまで昇華されてはいない。
SDGsは「自分ごと」になっているが、LGBTは「自分は違うけど」というエクスキューズではっきり言えば他人事である。

<生活思想の思想>
生活思想が生活者の中から自然発生することはほとんどない。
国連、国家など政治的権威やマスコミ、社会運動団体(宗教団体も含む)などの社会的権威の名を語ることで生活者に「生活指針」を与えるという形で発生する。
生活思想の基本思想は、生活者に現在の生活様式を「見直す」ように圧力をかけることである。
行き過ぎた熱狂(贅沢消費)を冷やし、過度な攻撃性(競争社会)を友愛・共存に向かわせようとする。
熱狂を鎮静させる思想なので経済発展の最中から下降に向かった時点で出てくることが多い。
反資本主義、反自由主義、脱成長・脱競争の思想を持っている。 この基本思想からはアンチマーケティングしか出てこない。
マーケティングの基本思想は、続く経済成長のなかで豊かな消費行動を継続することである。

<生活思想とマーケティング>
生活思想を徹底しすぎると、反科学意識が高まり天然自然にこだわるあまり、農業さえ否定する過激な考えになり、当然、マーケティングは完全否定される。
ただ、そういった過激思想は生活思想に限らず社会全体に支持されることはなく一部の過激派、原理主義者に支持されるだけで終わる。
生活思想は、社会全体に「なんとなく受け入れられる」状態のものであり、実際は、その思想と生活行動の間にギャップがあることが多い。
言っていることとやっていることが違う状況なのに本人たちは整合性が取れていると思っている。
生活思想をマーケティングで活用しようとする時、思想そのもののあいまい性、思想(意識)と行動の間のギャップを考慮することが大切である。
例えばSDGsをマーケティングコンセプトに仕立てようとする時、SDGsの考え方そのものを強調すること、消費行動をそれにきちんと合わせようとすることはマーケティング的に得策ではない。  

<生活思想は消費者からの逆セグメントか?>
現代の消費生活で生活者は、実に多数、多種類のコンセプトにさらされ、あらゆる媒体経由で攻められている。
コンセプトを発する側は、自分たちの商品、サービス、作品に興味関心を持って欲しい、できれば買って欲しい、興味を持つことが最先端の生活者だと説得してくる。
さらにここ20年くらいはネットの浸透によってネット検索、SNSなどによって「消費者認知の奪い合い」が激化し、生活者はこの情報洪水を泳ぎきらないと安逸が得られず、常にストレスフルな生活を強いられる。
情報を全てシャットアウトして殻に閉じこもることもできるが、それでは社会生活は成り立たず、かといって全て受け入れ情報の取捨選択をしていたら神経症になってしまう。
そこで、取る戦略はセグメンテーションである。
マーケターが使う戦略をターゲットである生活者が使う逆転が始まっていて、そのひとつの方策が生活思想によるフィルタリングである。 
自分の興味範囲をセグメントし、外れるコンセプト、情報は「見に行かない」と決め、セグメントに自分の注意資源を集中投資する。
この生活者側からの「選択と集中」の手段は生活思想だけでなく、様々なバリエーションを持つことになる。

 

2023.6

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