コラム

リサーチの神学論争Ⅰ

神学論争の意味を「役に立たない浮世離れした議論」としておきます。
何か(マーケティング)に役立てようと現実(データ)に基づいた議論(分析・推論)をするのがマーケティングリサーチですが、これを毎日やっていると身体は疲れるし、心もすさんでくるのです。
リサーチの世界の住人に疲れていたり、ひねくれた人が多いのは、このせいかも知れません。
そこでひとつ、浮世離れした、役に立ちそうもないリサーチ関連の議論をしてみたいと考えました。
神学論争は役に立たない故に多くの「癒し」をもたらしてくれますし、思わぬ発見(役に立ってしまう)もあるものです。

最初のテーマとして「(マーケティングに)リサーチは必要か?」を取り上げましょう。
その昔、受験勉強という実用一本やりの仕事(勉強)中に「こんなことに価値があるのか?」と存在論的な疑問を感じて、受験には全く非実用的な音楽をやったり絵を描いたり哲学書を読み漁るという体験を多くの人が持っていると思われます。
そして今、レポートを3本も5本も抱えて徹夜して「そもそもこのリサーチはやる必要があるのか?そんなレポートで徹夜までしているオレの存在理由はいったい何なんだ!」と強い疑問を持ったリサーチャーは迷わず社外のカウンセラーに相談すべきです。もちろん、明日、無断欠勤して。
それができない人は神学論争にいそしんでみましょう。
抱えたレポートが進むという保証は全くありませんが、失いかけた精神のバランスを取り戻す効果はあり ます。(かもしれません)

ここで、今回のテーマを整理してみましょう。
リサーチ必要派(存在理由あり)の主張はおそらく以下のようなものでしょう。

  • マーケティングの未来を照らすサーチライト、航海の羅針盤がリサーチである。
  • Plan Do Seeに客観性を与えるのがリサーチである。
  • ターゲット(消費者)理解と競合(の強み・弱み)を知るために必要である。

一方、リサーチ不要派(存在理由なし)は次のように主張するはずです。

  • 過去のことを調べても未来はわからない。
  • 数字をチマチマいじっていても成果は出ない。
  • カンと経験と度胸がマーケティング(営業)の基本。

共通していることは

① (マーケティング)リサーチは未来に関する知見を重視する
② 客観性(マーケティングは科学である)の保証は数値で行う。
③ マーケティングの成功のためには「知ること」が第一である。

ということです。

マーケティングリサーチは現在と過去のデータから未来を見る(予測とはあえて言いません)ことが主要な機能です。
「一寸先は闇」のコトバ通り原理的には未来はわからないと割り切る考えがあります。
そうかといって、明日も太陽が昇る(曇っていても)ことはほぼ確実な未来です。
後は程度の問題で、未来は、過去と現在の状態の少しづつの変化(トレンド)と考えます。
リサーチでの時系列分析はこの考えに基づいています。
時系列の問題点は新しい状況にすぐに対応できないことです。
新製品の爆発的なヒットや製品欠陥問題は時系列分析では予測できませんし、そういった新規の要素を時系列(傾向)の中に取り込むのにも時間がかかります。

マーケティングは科学(的)だとの主張があります。
科学の定義を「再現性」と単純に考えるとマーケティングには科学と言えない部分があります。
タミフルの有効性は二重盲検法という科学的実験方法(リサーチ)で確認できますが、タミフルが予想される新型インフルエンザを封じ込めることができるかどうかは実験できません。
(流行初期に、タミフル投与とプラシーボ投与とに人々を分けるなどはとても考えられません)

営業の最前線にいる人ほど「勘と経験と度胸」を重視します。
ただ、マーケットが複雑になったこと、マーケットの測定方法(リサーチ技術とコンピュータの発達)が高度化したことによって営業最前線でもリサーチデータが活用されるようになってきています。
娯楽であるプロ野球でさえ、ID野球が主流となって牧歌的時代は終わっています。
ここで注意すべきは「知ること=データ」ばかりに気を取られていると生きている市場(マーケット)についていけず、意志決定(判断)が遅れて失敗する確率が高くなるということでしょう。
不完全なデータだけでもタイミングを失わずに意志決定するのがマーケティングマネジャーです。
その時に「勘と経験と度胸」が役立つのです。

2008,7

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