コラム

セグメンテーションと重層的非決定

先日の日経流通新聞にビームスのセグメンテーションが載っていました。
ビームスは消費者をサイバー、イノベーター、オピニオン、マス、レイター、ディスカウンターの6つにセグメントし、オピニオンとマスの中のアッパーの部分をビームスブランドのターゲットにしているとの内容でした。
この文章からは次のような図式を想定するのが普通です。

ターゲットセグメンテーションといえばお約束の図式です。
富士山型に表現することで、各セグメントのボリュームと上昇する一本の説明軸(価値、意味)が実感できます。この場合は「ファッション感度、ファッション(購買)行動」と考えられます。

ここで、ターゲットセグメンテーションを考える時の注意点を3つあげてみます。

  1. 自ブランドの特性とセグメントの軸が一致しているか。
  2. セグメントの大きさが自ブランドの利益を生むのに充分な大きさか。
  3. セグメントにアプローチする方法があるか。

例えば先のビームスのセグメントを自社ブランドのセグメントに流用しようとしてもほとんど無効です。
ファッション感度を軸にしたのだから富士山の頂上に行くに従って「高感度人間」がセグメントされていると考えるのは間違いです。
高度化した現在の消費市場ではターゲットセグメンテーションはブランドごとに行うべきです。
今でも「一般的」セグメンテーションを使っているところもありますが、有効性はどんどん低下していると思います。
「高感度指標」「ライフスタイル分析」「マズローの発展5段階説」など多くのセグメント軸が提案されました。
これらを「一般的」セグメンテーションと呼んでみます。(汎用的セグメンテーションもいいかも)
一般的セグメンテーションは生活者の生活全体を説明できる軸を探す、いわば社会心理学アプローチといえます。
簡単にいうと「十人十色」の個人をいくつかのグループにまとめてみて、その中から自社ブランドのターゲットになるグループを発見しようという発想です。
この発想の限界は「黄色」と判定された個人はどんな時も「黄色」的反応をするという前提にたっていることです。
住宅から自動車、洋服、パソコン、コンビニ弁当、お茶など全てのジャンルのブランド選択で「黄色」的選択をするという前提です。
現実には、自動車では時代の先端を行くデザインの車を頻繁に買い換えて、関連情報の収集に熱心な「車、高感度」の人が洋服は自分で買ったこともなく、母親や奥さんが買ったものを黙って着る超低感度人間ということが起ります。
この限界を破るには
  「十人十色」から「一人十色」
への発想の転換です。
この一人十色を社会心理学的に表現したのが吉本隆明さんの「重層的非決定」です。
思想家らしく、オドロオドロしいコトバを使っています。
「消費資本主義が高度化された社会に住む、日本の賃労働者は搾取や抑圧から開放されるべき単層の存在ではなく、消費場面では数多くの層(食べ物から住宅まで)に重層化されて、その各層で自分を非決定状態における。 つまり自分の態度を保留しておける自由を手に入れた(搾取や抑圧はない)。」という認識です。
埴谷雄高との論争の中で出てきたコトバですがマーケティングに翻訳すれば、「消費者はどの市場でもブランド選択の自由を手に入れており、メーカー側(売り手側)からのコントロールは日々困難になりつつある」現状の認識ということになります。
以上から自ブランドの特性とセグメントを一致させて、ブランドごとにターゲットセグメンテーションを行う必要が出てくるわけです。

これを徹底すると極めて小さなセグメントをターゲットにしないといけないというジレンマがおきます。
その場合は自ブランドの利益が最大化するように次のセグメントにターゲットを拡げられるようにセグメントを作る時から考慮しておくことが大切です。

さらに分析者が陥りやすいのはセグメントすることに一生懸命になって、ターゲットにアプローチする方法を考えないことです。
極端な例ですがNet通販のブランドなのにNetリテラシーに関する調査(セグメント)項目が落ちていたりすることです。

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