コラム

新しいリサーチャー

ジェラルド・ザルトマン「心脳マーケティング」(ダイヤモンド社2005)を読んでいて気づいたのですが、マーケティングの大先輩アメリカでは、マーケターとリサーチャーがほぼ同義で扱われ始めたようです。
前回、このコーナーで取り上げた「リサーチャーの変遷」の先を行っているようです。
この本では、あらゆる部分で、「マーケターやリサーチャーは‥」という表現を使い、マーケターあるいはリサーチャー単独に呼びかける表現が少ないのです。
この「心脳マーケティング」という本が、「マーケティングのホーリズム」とでもいう視点で書かれているのでそのせいかもしれません。
もうひとつ、マーケターの地位の低下という印象がこの本から感じられます。
これも「リサーチャー業の衰退」を述べた前回のコーナーの先を行っている考え方と言えます。
かつては花形であったマーケティング部門(ディレクター)は、今や、進化した消費者と短期的な成果を求めるトップマネジメントとの板挟みで、すぐに首をすげ替えられる戦国時代となったようです。

この10年の間に消費者は大きく変化しました。(もちろん、相変わらずの部分も大きいのですが。)
その最大のポイントは、
商品選択(ブランド選択、購入)の際、商品そのものだけでなく背後に「その商品のマーケティング全体」を意識するようになってきた。
ということです。
もちろん、消費者自身はこのことに自覚的ではありませんし、この本でも言っているように「消費者は、自らの思考プロセスと行動を容易に説明すること」はできませんから、マーケティングインタビューの現場でもこのような発言は探せません。
ただ、確実に具体的商品に付随する「情報」に敏感になりましたし、マーケターの意図を斟酌する態度が見られるようになってきています。消費者は進化しているのです。

一方で、激しい競争のなかでトップマネジメント自らがマーケター的な役割を演じるようになってきました。
IT系の創業経営者だけでなく、伝統的業種のトップもマーケターにならざるを得ない状況が生まれています。
トップ自らがマーケター機能を担うということは、現場のマーケターは従来より厳しく評価されます。
マーケターという仕事は、成果があがらないとさっそくお払い箱になる「キツイ」ものになってきているようです。
素直な消費者と無関心なトップマネジメントとの間の無風地帯に安住していたツケがまわってきたのかもしれません。
リサーチャーは、マーケターが必要とする情報を提供するのが業務ですから、提供先のマーケターの地位低下のあおりを食っている部分があります。
さらに、リサーチャーは、前回述べたようにリサーチ方法論の一般化によって職業としての存在そのものが危うくなりつつあり、両方からのサンドイッチでますます斜陽化が進行しています。

こういった状況であたらしいリサーチャー像を描くのは難しいのですが、ひとつヒントになったのが、冒頭に述べたマーケターとリサーチャーが同義扱いになりつつあるということです。
実践(マーケター)と認識(リサーチャー)が同時進行する状況に対応しないと生きていけないのです。
消費者を含むマーケットの精確な「認識」だけが自分の職務と考えているリサーチャーは取り残されます。
マーケター・リサーチャーの認識とは、実践をともなって始めて認識となるのです。

2005,7

ページのトップへ