コラム

ChatGPTとパロール思考

<無文字文明と有文字文明>
最近、野生のシジュウカラが会話してることが発見されて話題になった。霊長類、鳥類、哺乳類の一部は言葉を使ったコミュニケーションをしていることはわかっている。触ったり(毛づくろい)、ダンス(みつばち)で意思疎通する生物種は多いが、音声(鳴声)を言葉(単語)にまで昇華させてコミュニケーションする種は少ない。さらに、言葉を文字化、文章化して使えるのは人類だけである。 パロール(発話)とリテラル(識字)との間には進化的に大きなギャップがある。
ただ人類の文明に、無文字文明と有文字文明とがあり、両者で芸術(叙事詩、絵画)、建築、社会組織(政治・経済)などの完成度、成熟度に大きな差はない。
文明の継続性、携帯性、蓄積力、伝播力で有文字文明が優位なだけである。

<パロール、ひとりごと、おしゃべり>
ひとりごとは声を出さずとも口頭でしゃべる、つまり発話が基本である。おしゃべりは確実に発声しないと成り立たない。(手話は別)
我々は言語を使って考える、考えたことをまず、自分に向かって常にしゃべっているそうだ。これを「内言」というが、この声を聞いてそれに反応、返事をする内言、つまり、もうひとりの自分がいて、ひとりで会話しながら思考を継続させている。 ←『おしゃべりな脳の研究』
純粋なひとりごとはなく、脳内のひとりのおしゃべりの中のある部分が表(発話)に出てくるのがひとりごとなのである。
おしゃべりは、生身の相手がそばにいて、その人に向かってしゃべると相手から発話で返答が返ってくる、これをキャッチボール、テニスの乱打のように続けることで話題の理解だけでなく、共感性、親密性の情動まで刺激され、「場の雰囲気」が生まれる。
電話やZOOMでもおしゃべりは可能だが、続けていくうち「物足りなさ」が高じてくる。現実のナマの空間を伝わってくる空気の振動は情動の深いところに届くが、人工的媒体を経由すると情動に届かないのかもしれない(エビデンスなし)。

<TwitterがXになった>
ひとりごとを書き込んで楽しんでいたら、見ず知らずの人の反応で、おしゃべりするようになった。
そんな楽しいネット空間にしつこく「悪がらみ」する人も出てきて、気分の悪い議論もさせられるようになったが、まあ楽しい。
そこに最悪の人物が出てきて「x」にしてしまった。
この夏の酷暑とともに記憶される出来事である。
イーロン・マスクはひとりごと、パロールの広場であるTwitterを物語、作品の市場・マーケットにして、そこでショバ代を稼ぎ、文化の先端者の名誉を得ようとしていると踏んでいる。

<モデレーションのパロール思考を分析に活かす>
モデレーターはインタビューフローにそって発話と傾聴を繰り返してグループをコントロールする。
同時に自らの内言によってインタビューテーマの分析を行っている。
いずれもパロール思考を使っている。
つまり、モデレーターは対象者とのパロール思考とクライアント向けのパロール思考を同時並行に行っている。
先に述べたようにパロール思考は情動、冗長、瞬間、意外性の特徴からインタビューの雰囲気を盛り上げ「場の雰囲気」を作ってくれる。
ところが、このパロール思考を分析に使おうとするとなかなかうまくいかない。分析作業はリテラル思考であり、論理、歴史、整合性、倫理を重視するのでパロール思考は障害にしかならない。
だから、インタビュー(パロール)の分析の時は、必ず書き起こし(リテラル化)データを基礎に行われる。
文章化(リテラル)すると言葉の意味の分散は少なく、一意に決まるし、繰り返し読むことができるので、冷静で緻密な客観的分析ができる。
ただ、インタビューの情動を含んだ「パロール思考」をこの段階で捨ててしまうのはもったいない。
そこで、ひそかに「パロール思考」と「リテラル思考」を融合させた分析レポート作成をめざしている。 

 

 

2023.8

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