コラム
「世に出ないことば」
詩人、荒川洋治のエッセイ集です。
その中の「朝の思い出」というエッセイがおもしろい内容でした。
荒川さんが、あるPR誌に書いた単文の校正をしようとしたときの話です。
校正稿で、荒川洋治の原稿の文中の数字が全て算用数字に直されていました。
「二人」は「2人」とうい具合です。
そのPR誌は、縦書きで構成されているのに編集の方針でそうしているとオトナである荒川さんは、文学者、詩人としての嗜好をあえて主張せず、クライアントの方針に従うことにしました。
そこで、文中の数値を全て消してしまうことにしました。
「○○市、人口は8万ほど。」(原稿は縦書きで「八万」)を「○○市。」だけにしたそうです。
そうすると作者が伝えたかったその町のイメージのほとんどははぎ取られます。
あとは、作業として、文中の数字を全て消していきました。
文章として、簡潔になってよかった部分もあったそうですが、作者の違和感がよく理解できます。
そこで、荒川洋治は「数字は、具体的な力で、文章を支えているのだ。それがうばわれると、文章は闇のなかにはいることになる。」という認識に達します。
(その前の文章で、数字を消す作業で電球が1個づつ消えていく感覚が表現されています)
こういった繊細さに比較して我々のレポートは、不用意に数字を使ったり、数字を消してしまったりしています。
定性調査のレポーティングでは、数値は使わないように心がけています。
分析者の感覚として4割くらいの対象者が共感したと判断できても「半数弱」という記述にします。
ただ、「たった1人であるが、このコンセプトに強く共感した○○な人がいた。」という表現を「極めて少ないが、」としてしまうと分析者の分析の熱意が伝わらない気もします。
調査レポートの数値は、1次データの数値は有為差検定がすんでいるもの、2次データの数値は世間的に確定している(日本のGDPは○兆円など)もの以外は使わないのが原則でしょう。
この原則とは別に、文章に力や光(イメージ)を与える数字があることに気づかされました。
レポーティングで、精確な数値の使い方とともに心がけたいことです。
2005,12