コラム

戦争・食卓・家族

「<現代家族の誕生>幻想系家族論の死」岩村暢子(頸草書房2005)は、岩村さんの前著「変わる家族変わる食卓」と同様、リサーチ結果を読み込むことによって書かれた本です。
「食の崩れ」の原因は何か、「今のおばちゃん世代までは、きちんとした昔ながらの食事を作ってきた人たちのはずなのに、それを食べて育った娘達(現代主婦)は、今なぜ」という動機によって書かれた本だということです。
ここで、コトバの定義的なことをおさえておきます。
「食の崩れ」=「朝は起きないおかあさん、お菓子を朝食にする家族、昼をひとつのコンビニ弁当で終わらせる幼児と母、夕食はそれぞれ好きなものを買ってくる家族」など<食DRIVE>調査で明らかになった現象をさしています。(岩村さんの前著参照)
現代主婦=「食の崩れ」を体現している主婦。
そして、現代主婦の実の母親(今回調査では、54~73歳)40人に1on1のインタビューを実施して「食の崩れ」の原因を明らかにしようとしたのがこの本です。
その原因は、

おばちゃん世代は、「きちんとした昔ながらの食事」娘に教えなかった。
戦中・戦後の混乱と貧困が「きちんとした昔ながらの食事」の継承を阻害した。
戦後民主主義が家庭(食卓)から女性(主婦)を引き離した。

ということになるようです。
戦争と戦争に負けたこと、戦後民主主義(アメリカナイズ)を許容したことが、現代主婦の「食の崩れ」の原因で、そのことが家族概念まで崩した(変更させた)ということのようです。

岩村さんが「死」を宣告した幻想系家族論(たぶん、このサブタイトルは出版社の入れ知恵)というのもはっきりしませんが、サザエさん家のような家族・食卓を想定していると思われます。
この家族は、文字通り幻想であって、過去も現在も存在したことはないと考えるのが妥当でしょう。
マーケティングの世界では、広告の中にしかなかった家族像です。
この本で問題とされている「食の崩れ」は、ある意味ではいつの時代にも起こっていた「変化」に過ぎないのではないでしょうか。
こうした「崩れ」を体現している個人が、スローフードに関心を持っていたりする場合もあります。

同時期に読んだ「栃と餅 ー食の民族構造を探るー」野本寛一(岩波書店2005)を読むと我々、庶民は実にいろいろなものを食べていたのがわかります。
それもつい最近まで。
自然が与える食の素材を工夫するという豊かさは失いました。
食の工夫は、食品メーカーやコンビニの商品企画担当の専権事項になってしまいました。
そんなことは考えずに手近に手に入る食物を口に運んで、子供とディズニーランドに行った方が豊であると感じることを批判するのは筋違いという感じもします。
「きちんとした昔ながらの食事」は民俗学の世界に行ってしまったのです。

2005,8

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